中島 三栖雄(なかじま みすお、1889年(明治22年)2月19日 - 1983年(昭和58年)2月3日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
広島県出身。1907年(明治40年)5月31日に陸軍中央幼年学校本科を卒業。1909年(明治42年)5月27日に陸軍士官学校(21期)を卒業し、同年12月25日に工兵少尉に任ぜられ、工兵第五大隊付となる。1912年(明治44年)11月27日に陸軍砲工学校(18期)高等科を卒業し、1913年(大正2年)2月3日に工兵中尉に昇進。
1918年(大正7年)12月17日に工兵大尉に昇進し工兵第五大隊中隊長に補される。1925年(大正14年)5月1日工兵少佐に昇進後、陸軍砲工学校教官、築城部横須賀支部部員等を経て、1931年(昭和6年)8月1日工兵中佐に昇進。その後、陸地測量部班長等を経て、1934年(昭和9年)4月16日に陸地測量部地形科長に就任し、1936年(昭和11年)3月7日に工兵大佐に昇進した。
その後、工兵第三連隊長等を経て、1939年(昭和14年)3月9日に陸軍少将に昇進し陸地測量部長に就任。更に第十一工兵司令官を歴任した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
栄典
- 1910年(明治43年)2月21日 - 正八位
- 1913年(大正2年)4月21日 - 従七位
- 1918年(大正7年)5月20日 - 正七位
- 1920年(大正9年)
- 7月31日 - 勲六等瑞宝章
- 11月1日 - 功五級金鵄勲章・勲五等双光旭日章・大正三年乃至九年戦役従軍記章
- 1923年(大正12年)7月31日 - 従六位
- 1927年(昭和2年)11月29日 - 勲四等瑞宝章
- 1927年(昭和3年)9月1日 - 正六位
- 1932年(昭和8年)9月15日 - 従五位
- 1933年(昭和9年)
- 3月1日 - 満州帝国:大満洲国建国功労章
- 3月9日 - 勲三等瑞宝章
- 4月29日 - 旭日中綬章・昭和六年乃至九年事変従軍記章
- 1938年(昭和13年)10月1日 - 正五位
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章
脚注
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。




