北畠 材親(きたばたけ きちか)は、伊勢国の守護大名・公家。伊勢国司北畠家の第6代当主でもある。

生涯

応仁2年(1468年)、第5代当主・北畠政具(のち政郷、政勝に改名)の長男として生まれる。はじめ具方(ともかた)を名乗るが、のちに第10代将軍足利義材(のちの義稙)から偏諱を受けて材親と改める。

若い頃から父と共に二元政治を行い、また父と共に伊勢北部の神戸氏や長野氏らの領土に侵攻して勢力を拡大した。伊勢南部においても、宇治山田の神人層と対立して抗争し、勢威を拡大した。

永正5年(1508年)の父の死去により、家督を継いで当主となる(実際にはかなり前に譲られていたとの説もある)。この際、伊勢守護職に任じられた。

永正8年(1511年)、病を理由に剃髪し、家督を嫡男の晴具に譲って飯高郡大石村に隠居した。

永正14年(1518年)12月13日に死去。享年50。

人物

儒学に通じた文化人である一方、仏教に深く帰依した信心厚い人物でもあったといわれている。

出典

関連項目

  • 畿内・近国の戦国時代



北畠親房 神皇正統記を遺した南朝の重鎮 戦国武将列伝Ω 武将辞典

神戸城の解説~伊勢・神戸氏の本拠地と神戸具盛(7代)「伊勢・沢城」も お城解説「日本全国」1300情報【城旅人】

志摩・鳥羽城(城郭放浪記)

武家家伝_北畠氏

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