山西町(やまにしちょう)は、愛媛県松山市の町丁。郵便番号は791-8026。住民基本台帳に基づく人口は3,673人、世帯数は1,872世帯(2024年1月1日現在)。丁目の設定のない単独町名である。住居表示は全域で未実施。
歴史
山西村
旧松山藩領。古代は味酒郷に属したと推定される。
本郡朝美村の人民が此の地に移住して此の地を開拓した。此の朝美村の西に朝日山唐山等があり、其の山の西部にあるため山西村と称した。
嘉永4年から安政5年に庄屋の一色義十郎が村の西方の海辺の干潟地を埋立、大可賀新田50町歩を開発した。「松山領里正鑑」では里正は一色熊太郎である。
村高は「慶安郷村数帳」では838石余、うち田757石余畑80石余。「元禄村浦記」838石余「天保郷帳」「旧高旧領」ともに861石余。
1873年(明治6年)、愛媛県に所属する。1889年(明治22年)、味生村の大字となる。
出身人物
- 岡田實太郎(政治家、運送業、高濱郵便局長)
- 新田長次郎(実業家、資産家) - 新田帯革製造所(現ニッタ)の創業者。
- 新田仲太郎(実業家、資産家、海運業) - 内外汽船社長。新田長次郎の甥。
- 新田萬次郎(政治家) - 味生村長。
脚注
参考文献
- 愛媛教育協会温泉部会編『温泉郡誌』向陽社、1909年。
- 椿南松田卯太郎編『新編温泉郡誌 大典紀念』松山石版印刷所、1916年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』角川書店、1981年。
関連項目
- 味生村


