松平 頼策(まつだいら よりふみ)は、江戸時代後期の大名。常陸国府中藩第10代(最後)の藩主。官位は従四位下・播磨守。維新後は知藩事、のち子爵。
略歴
9代藩主・松平頼縄の三男として誕生した。幼名は勇次郎。
明治元年(1868年)12月3日、父の隠居により跡を継ぐ。明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事となり、このときに藩名を石岡藩と改称した。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となる。明治17年(1884年)には子爵となった。明治19年(1886年)9月10日、39歳で死去した。墓所は茨城県常陸太田市の瑞龍山。
家族
父母
- 松平頼縄(父)
妻
- 松平衛 ー 松平頼胤の娘(前妻)
- 松平鏘 ー 松平頼升の娘(後妻)
子女
- 松平頼孝(長男)
- 松平頼忠(次男)
- 松平幸 ー 青木楠吉夫人
- 太田五郎




