趙 之成(ちょう しせい、1899年 – 没年不詳)は中華民国の官僚・実業家。中華民国臨時政府で各職を歴任した。当時において、王揖唐の派閥に属していた人物と見なされている。また、江紹杰と共に王揖唐の側近における重鎮格と評価する文献もある。

事績

清末に日本へ留学し、法政大学法律科を卒業したとされる。

王克敏・王揖唐らが中華民国臨時政府を創立すると、趙之成もこれに参与した。1938年(民国27年)1月1日、趙は教育部(総長:湯爾和)参事に任命された。同年9月18日、組織改革により内政部が成立すると、王揖唐が内政部総長となる。同月28日、趙は内政部民政局長へと異動した。

1940年(民国29年)3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)に臨時政府が合流し、華北政務委員会に改組される。内政部は内務総署に改組され、5月4日に内務総署民政局長代理に任命された。ただし実際には、3月30日の時点で事実上の重任となっていた可能性が高い。

王揖唐が華北政務委員会委員長兼内務総署督弁となった後の8月1日、趙之成は民政局長代理を免ぜられる。11月30日、教育総署秘書主任代理に任命され、翌月に教育総署督弁となった周作人を補佐している。その一方で実業界でも活動し、中日実業株式会社や新民印書館、井陘煤鉱股份有限公司などで取締役(董事)をつとめている。

1944年以降における趙之成の動向は不詳である。

参考文献

  • 尾崎秀実監修「アジア人名辞典」『アジア問題講座 第12巻』創元社、1940年。 
  • 東亜問題調査会『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 
  • 張同楽『華北淪陥区日偽政権研究』三聯書店、2012年。ISBN 978-7-108-03802-9。 
  • 法政大学中国研究会編『中華民国法政大学留学卒業生人名鑑 法政大学創立七十周年記念』法政大学中国研究会、1949年。 

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