金子 有道(かねこ ありみち、1869年10月4日(明治2年8月29日)- 1938年(昭和13年)3月18日)は、明治後期から昭和初期の政治家、歌人、神職、華族。貴族院男爵議員。旧名・健麿。
経歴
石見国安濃郡川合村(現島根県大田市川合町川合)で物部神社社家・金子有卿の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1920年(大正9年)8月30日、男爵を襲爵した。
皇典講究所で学び、1896年(明治29年)物部神社禰宜に就任。1916年(大正5年)御歌所編纂部に嘱託として加わり、『明治天皇御集』『昭憲皇太后御集』の編纂に従事した。その他、久邇宮家御用掛、大礼使典儀官、御歌会始奉行、同頌講、御歌所参候などを務めた。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し死去するまで在任した。
人物
父の影響で和歌に親しみ、興風会幹事として華族の子弟を指導し、晩年には中央歌道会東京支部長として民間歌道の指導に尽くした。また、糸竹会会員となり雅楽にも精通した。
著作
- 金子清子編『竹の葉風』金子清子、1942年。
親族
- 父:金子有卿 - 物部神社宮司
- 母:金子瀧子 - 綾小路俊賢二女、綾小路有良の妹
- 姉 福永忠子 - 福永鉄之助の妻
 
- 妻:金子キヨ - 阿南尚四女
- 養子:金子吉忠(吉三郎) - 有道の甥、男爵、海軍技術少将。藝備銀行 (1920-45年)役員で広島県の多額納税者の福永鉄之助三男(弟とも)。妻の総子は子爵高辻修長の孫
 
脚注
注釈
出典
参考文献
- 人事興信所 編『人事興信録』《上》(10版)人事興信所、1934年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 神社新報社 編『神道人名辞典』神社新報社、1986年。
- 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《上巻》吉川弘文館、1996年。
- 日外アソシエーツ 編『20世紀日本人名事典:あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。




