伴 勝雄(とも の かつお)は、平安時代初期の貴族。東宮傅・大伴弟麻呂の子。官位は従四位下・右兵衛督。
経歴
嵯峨朝の弘仁11年(820年)従五位下に叙爵。
弘仁14年(823年)淳和天皇の即位に伴って、諱を避けて大伴宿禰姓から伴宿禰姓に改姓する。天長元年(824年)従五位上次いで正五位下に叙せられて、陸奥守兼按察使に任ぜられると、天長6年(829年)従四位下・右近衛少将、天長7年(830年)右兵衛督兼讃岐権守と、淳和朝において武官と地方官を務めながら順調に昇進した。天長8年12月8日(832年1月14日)卒去。享年56。
人物
寛容でさっぱりした性格で、隠し事を許さなかった。家風は清廉でほんの僅かな不正も行うことがなかった。地方官として辺境の軍事を統括、あるいは衛府の長として宮中の兵を管轄するなど、才学は乏しかったが、軍事を指揮する能力に秀でていた。
官歴
『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁11年(820年) 正月7日:従五位下
- 弘仁14年(823年) 4月28日:大伴宿禰姓から伴宿禰姓に改姓
- 天長元年(824年) 正月7日:従五位上。日付不詳:正五位下。日付不詳:陸奥守。日付不詳:兼按察使
- 時期不詳:正五位上
- 天長6年(829年) 正月7日:従四位下。2月22日?:右近衛少将
- 天長7年(830年) 閏12月16日?:右兵衛督。日付不詳:兼讃岐権守
- 天長8年(831年) 12月8日:卒去
脚注
参考文献
- 森田悌『日本後紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、2007年。
- 市川久 編『近衛府補任』続群書類従完成会、1992年。


