朝井 茂治(あさい しげじ、1941年5月11日 - 2010年5月2日)は、静岡県裾野市出身のプロ野球選手(内野手)。一時期、登録名を朝樹 一義世(あさぎ かずきよ)とした。
来歴・人物
静岡商業では遊撃手として活躍。1958年秋季中部大会に進むが、東邦高に延長10回敗退。翌1959年の夏の甲子園に出場。1回戦は宮古高の佐々木勝利(大毎)を打ち崩し完封勝利。しかし2回戦ではエース・井上善夫を擁する日大二高に延長11回の熱戦の末に敗退した。同年には井上らとともに高校野球日本代表としてアメリカに遠征、四番打者も務めた。
1960年に大阪タイガースへ入団。入団当初の内野陣は三宅秀史、吉田義男という名選手揃いであり なかなか出場機会がなかった。しかし1962年に三宅が故障、1963年は開幕からフランク・ヤシックと三塁手の定位置を争い、7月にはレギュラーを獲得した。1964年のリーグ優勝に貢献、南海ホークスとの日本シリーズでは、全7試合のうち6試合に先発。第1戦に2安打を放つが、シリーズ通算17打数3安打と大きな活躍はできなかった。1965年4月11日から6月11日までの2ヶ月間は登録名を朝樹 一義世(あさぎ かずきよ)とした。1966年には初めて規定打席に到達(14位、打率.256)、1967年までレギュラーの座を守るが、打撃が低迷。1968年に広島東洋カープに金銭トレードで移籍。三塁手が固定できずにいた広島で、2年間レギュラーを務める。しかし1970年には国貞泰汎、井上弘昭にポジションを譲り、同年限りで現役引退。
2010年5月2日、脳梗塞のため死去。68歳没。
詳細情報
年度別打撃成績
背番号
- 40 (1960年 - 1963年)
- 1 (1964年 - 1967年)
- 15 (1968年 - 1969年)
- 4 (1970年)
脚注
関連項目
- 静岡県出身の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 広島東洋カープの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 朝井茂治 - NPB.jp 日本野球機構




